MY FRIEND / ZARD
【Haruka’s Voice】
半端じゃない一音へのこだわり
「おどるポンポコリン」と言えばかなり多くの人が知っているでしょう。ちびまる子ちゃんのテーマソングですね。それをこの世に送り出したのが、いわゆるBeingという会社です。厳密にはBeingという会社がやっていた訳じゃないですが、一般的にはBeing系といわれ、90年代前半は日本のPOP音楽シーンを引っ張っていました。B’z、大黒摩季、WANDS、T-Bolan、ZARD、TUBEというヒットメーカーを筆頭にかなりのヒット曲を連発していましたね。
実は私、これらのアーティストに特に興味はありませんでした。でも、この会社がその前時代に作り上げたヘヴィーメタルシーン(Loudnessや浜田麻里)が好きで、高校時代から良く聴いていましたし、演奏のコピーなんかも良くしてました。今でも大好きです。その浜田麻里さんがレコーディングしていたスタジオを麻里さんのCDジャケットから割り出し、コンタクトをとってみた所、幸運にも入社することができたのです。(本当に運が良かったと思います。)
一応就職ということになりますが、レコーディングエンジニアにとって、あまり就職という言葉は適当ではないでしょう。
で、半年ばかり下積みをして、これまた運良くZARDの専属になったんです(異例の出来事だったようです)。その最初の仕事がこの「MY FRIEND」のカップリング曲「目覚めた朝は…」のヴォーカルレコーディングでした。
初めてのレコーディングで、めちゃくちゃ緊張していました。そして坂井泉水さんがスタジオに入ってきた時には、あまりのオーラにカチンコチンに固まってしまった記憶があります。ガラスのようなオーラが漂っていました。触れただけで壊れてしまいそう、そんな感じでした。本当に。
ここから私のZARDの仕事が始まりました。まだこの仕事の本当の苦しさを知らないころです。
とにかく、ZARDの音楽制作というのは細かい。「一音たりとも妥協を許さない」というポリシーを貫いていました。”重箱の五隅をつつく”と言っていたくらいですから(重箱には四つの隅しか無いですよね)。ですから、『ヴォーカルダビングがこれほど大変なのか?』という事を思い知る事になります。
まだ今の様なCD不況になる前ではありましたが、バブルがはじけた後ですから、それほどCDが爆発的に売れるという事はない時代でもありました。このシングルは、そんな時代中でも結構売れました。(私自身は、次の仕事に必死だったので、売れたかどうかなんて気にすることはありませんでした。あまり良いスタンスとは言えませんけれど。)
私は、とにかく目の前に与えられた仕事をこなしていました。余裕なんて全くありません。寝る暇もありません。家に帰る暇もありませんでした。それがこのシングルから始まりアルバム”
2件のコメント
-
-
ピンバック: