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夏の終わり [Monthly Report 2015-08]

昨年の半ばには既に今年(2015年)の活動計画が出来上がっていた。
2015年7月4日、ミニ・アルバム「REGENERATION」を発表するに当たり、6月初旬からムービーやWeb制作も行っていた。6月頭にはすでに音源は完成しており、配信手続きをした後のこと。つまり、作曲・音源制作そのものはその数カ月前から行っていた。

「REGENERATION」の一部お披露目と「吉田悠二プロジェクト」の名でのライブが初となったのが、7月18日の「SAPPORO CITY JAZZ Park Jazz Live」。ライブ用キーボードシステムのリハーサルも半ば兼ねたライブで、これは単独での出演だった。

そしてサッポロファクトリー・ウィークデイライブへ出演(8月19日)。当初、このライブは今年4月頃を予定していた。更に言えば、サッポロファクトリーの担当者さんとは昨年(2014年)の秋には話を進め始めていた。

私の心身の体勢、そして生活の体勢(パン屋開業や環境整備)を整えることなども同時におこわなければならなかったので、順風満帆な進捗とは到底いえないのだが、それでもほぼ今年やるべきことは終焉に向かっている。まだ、9月21日の旭川「食べマルシェステージ」でのライブがあるので気は抜けない。そしてそれは今年の集大成となるだろうと思う。それが終われば、「吉田悠二プロジェクト」としては表面的な活動は小休止となる予定である。ただ、別の話も進み始めているので、長期間安堵できる時はこないだろう。

だが、これが私の幸せなのだろう

 

この流れの中で今感じている「忘れてはならない」ことを記録しておこうと思った。

サッポロファクトリー・ウィークデイライブでは、本当に大きな学びがあった。一番大きな学びを一言で言うとすれば「一人で生きているのではない!」ということ。

かつて私は、アーティストのレコーディングやプロデュースという裏方の仕事をしていた。それが今は自分自身をプロデュースする立場になった。(それが今最善の選択肢だったというだけなのだけれど。)セルフプロデュースは難しいとよく言われるが、それを痛感した。

「自分」を切り離せないのだ。

それに気が付かされたのは当日まで続いた。「よっしー、曲順、この方が良くない?」とヴォーカルのYUKARIさんからオンラインメッセージをもらった時だ。

今回のライブでは「吉田悠二 feat. YUKARI」と銘打ってあるので、私は「YUKARI」をメインに出さねばならないと強く思い込んでいた(それが私の今までの役割の中では自然だった)。なので、曲順を考えるときもそれを考慮していたのだ。ところが、この打診を受けて即、頭に浮かんだのは「これでは私の印象が強くなってしまう」ということだった。そして、しばらく車中で考えていると気がついた。「”自分”を切り離せていなかった」と。

仮に、私が「吉田悠二」というミュージシャンをプロデュースする別の人物だったら、このライブでの曲順は確かにその打診とおりにしていたと思う。それが聴く者・見る者には自然だと思うし、よりよく全体的な魅力を伝えることができると思う。

しかし、私は己の怖れにコントロールされていた。どこかで、「注目を浴びたくない」「責任を負いたくない」「怖いのは嫌だ」という気持ちがあったのだろう。(それが自信のなさにつながってもいる。)

一時期私は、死んだようにただ生存していた。その期間が長すぎたのか、そういうこともわからなくなってしまったのかもしれない。今こうして復帰を目論み、社会の中へ出始めていくと、”自分の行いが他人を巻き込むことになる”ということをよく感じる。巻き込むというと言葉は良くないのだが、それがつまり「つながり」というやつなのかもしれない。『物事は単独では存在しない』そういうことだ。”何かやろう”とすると(たとえそれが個人の思い=自分の為であっても)、それは社会に出した瞬間に自分だけのものではなくなる。たとえば、今回のようにライブで共演したいと言えば、私が相手に手伝ってもらうだけではなく、相手も何かそこから得るものがあるからエネルギーを注いでくれる。そしてそれも、相手にとっては「何かやろう」になって、相手だけのものではなくなる。その輪廻の中に我々は生きているのだ、と。

支えてくれる人や出演メンバーだけの話ではない。来てくれた・たまたま通りがかって聴いてくれていたお客さんでも全く同じことが言えると思う。その方が「感動した」としても、それは私が「与えたもの」ではないのだ。もちろん、私は感動を与えたいと常々思ってきた。高校生のころにいろんなミュージシャンに感動した、あの感動を与えたいとずっと思ってその後の人生を選択してきた。しかし本質的にはそれは違うのだ。人が人に感動を与えることは出来ない。ましてや、人の能力が誰かを感動させることなどない。なぜなら人が何をどう感じ、考え、何に感動するかは他人がどうこうできるものではない。受け取り側の中で発生するのが「感動」なのだ。私が出来るとしたら、その機会を作ることである。曲を作り、CD(配信音源)やライブで誰かに届ける、それしか出来ないのだ。自分はそこには乗っからない。(それも「自分を切り離す」ことになるのかもしれないとも思った。)

もっと言えば、その機会がつくれたのは、誰かからその機会を与えられたからである。私はこの世界に存在している以上、誰か(それは人だけではなく森羅万象)から与えられているから、私は新たな機会を作ることが出来たのだ。私からその機会を得た誰か(それも森羅万象)はさらに新たな機会を作り、その機会を得た誰かはさらに…。

繰り返してしまうが、「そういう輪廻の中に我々は生きている」のだ。誰もがこの世界に属する一部分でしか無いし、なんらかの役割を担っている(演じている)だけで、それをコントロールすることも絶対に出来ない。
だから人は生き、感じ、そして次へとつなげていくことが出来る。

本当に理解できたのかどうかわからないのだが、今回のライブで言えば「メインの立場」という役割を担うことに、私は責任を持つべきだ。自信が無くても、その立場にたったならば自信が無い様に振る舞ってはいけないのだろう(かといって重圧に苦しむ必要はないことも知らなくてはいけない)。今後上手くその役を演じることができるか、それはかなり怪しいが(なぜなら恐怖はやはりあるのだから)、せっかく感じた何かを忘れずに次へ向かおうと思っている。

 

■後記

この輪廻の中心に脈々と流れているのは「感謝」なのだということも、実感として感じた(うさん臭い言葉にも聞こえそうだが)。その知識はあっても、今の時代なかなかそれを実感することができないのだが、今回私はその片鱗を垣間見た気がする。(まだまだ成長のための試練は限りなく巡ってきて「やっぱり分かってなかった」と思う時が何度もあるだろう。)

周りくどい言い方で申し訳ないですが…。つまり、私はいろんな方々にものすごく感謝の気持ちを抱いたということです。関わってくださった全ての方に感謝しています

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