彼岸といえば「ぼたもち」
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今日は彼岸の入り

彼岸ってなんだっけ?と思い、ちょっと調べてみた。

Wikiによると…

「彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。」

彼岸といえば「ぼたもち」
彼岸といえば「ぼたもち」

そんな意味があったんですね。深い…。

私は、全く仏教も他の特定の宗教もよくわかりませんし、将来的にも無いだろうなと思いますが…。

ですが、『煩悩』という概念メタファーを、このところよく心に思い浮かべ、判断材料にしています。
自分がする事なす事、これらが煩悩によって引き起こされていることに気がつくと、「まだまだだな…」と思うわけです。

煩悩というのは、自己中心の考え、それにもとづく事物への執着から生まれるもので、108つもあるそうです。
でも根源となるのは三つ。

「貪欲(むさぼり欲しがること)」
「愚痴(物事を正しく認識したり判断したりできないこと)」
「瞋恚(しんに)(他人の行為に腹を立て怒り狂うこと)」

(”愚痴”の意味が、我々が日頃使うものとは若干異なりますね。)

といっても、不完全すぎる存在なのだから、矛盾が生じる存在なのだから、「そんな人間になれるわけないよ」とも思います。

しかし、自分の(あるいは地球の一動物である人間としての)行き過ぎを自分自身で戒める、良い判断材料になります。

「煩悩を脱した、悟りの境地に入っていけるのか?」
そんなことを思い出させてくれた、今日という始まりです。

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