私のこだわり [Monthly Report 2014-10]

こだわりというと、「頑固オヤジのこだわりの味」みたいな使い方がよくされてきたので、一聴いい意味に聞こえてしまう。”一つのことに丹念に取り組んでいる姿”というか…日本人が大好きな「この道一筋」というやつ。でも、語源的にはこれ、ちょっと間違っているらしい。”こだわり”という字を漢字で書くと「拘り」と書く。「拘束する」などに使われる漢字。

「拘」をWeb検索してみると面白い。「かかずらう」(拘うと書く)と読むそうで、その意味は

  1. (面倒なことに)かかわりを持つ。関係する。かかわる。
  2. ささいなことやつまらないことにこだわる。拘泥する。

など、ネガティブな意味を持っているということがわかる。

「私は音色にこだわっています」「ギターはテレキャスにこだわって…」なんていう言葉を聞いたりする。いや、自分もついこの言葉を使いたくなることがある。例えば、「私はデジタルとアナログの融合とバランスにこだわった作品作りをしています」などと表現したくなるのだ。

しかし、拘りという言葉の本来の意味からすると、「身動きが取れない状態」と言い換えてもよく、”周りが全く見えていない状態”であると解釈している。べつに、この言葉を使ったら即周りが見えなくなるわけではないのだが、私自身が”こだわり”という言葉を使ってしまった時には、「ああ、俺はまた周りが見えなくなっているんだな」と自己嫌悪に陥る。

で、もう一つ気がつく。いつまでもこの「こだわり」という言葉に「こだわってしまっている」自分に気が付き、「またか…」となるわけだ。

IMG_0122とは言いつつも、別の考え方も私にはある。世で名を成すような偉人たちの多く(おそらく殆ど)が、「周りが見えてない」人たちではないだろうか?研究者しかり、芸術家しかり、スポーツ選手しかり…それこそ「ラーメン屋の頑固おやじ」しかり。いかに「こだわって」しまい周りが見えなくても気にせずそれに集中し、それでいて出来る限り周りに迷惑をかけないように振る舞えるか(あるいはそういう環境があるか・与えられているか…)ということが、結局は偉人と凡人を分けるところになるのかもしれない。この「出来る限り周りに迷惑をかけない」、あるいはそれを許してもらえる人柄・環境を持てるかどうかは、簡単に出来ることではないとも思う。

むしろ、下手に周りがよく見える人は、結果的に何も成し得ないばかりか大きな迷惑を誰かにかけてしまうことにもなるのではないか。

はたまた、周りが見え過ぎると、身動きがとれなくなる。これもしかり…な気がするのは私だけか。

そもそも、周りがよく見えるということは、どういうことか…。

ああ、我々人間は、なんと未熟なことか…。

 

後記

今回も音楽とは基本的に関係ない話でした。しばらく前からバーンアウト(燃え尽き症候群)に見舞われていて、あるいはスランプとでも言いましょうか、いやスランプっていうのはそれなりに毎日のようにハードな鍛錬を積んでいるような人に訪れるものをいうので、私のは単に「ふちょー」とでも言ったほうがいいかもしれない。そういうことで、この2ヶ月ほど、どこへ向かうとも無く生きているといった感じになってしまっている。
もちろん、やるべきことは多々ある。ライブもこの先に控えている。そのための曲作りやらまつわる仕事やらがたくさんあるわけなのだが、いかんせん気力が入らない状態。

こういう時に焦るのは逆効果。かつて私は、無意識にそういう状態に焦りを感じて強引に自分を駆り立てて突き進んだが、結果はさんさんたるものとなったわけで。「甘い」と自分を叱責し、自らのケツと叩くこともとても必要なことだが、この心身の感じ、”それはやってはいけない”となんとなくわかるようになってきた。

一昔前ならこれ、「ウツ」になっていたんだと思うと、かなり克服したんだなと自分自身に感心もする。こうして大人になっていくのかね?まだ子どもやねー。

 


Comments

“私のこだわり [Monthly Report 2014-10]” への2件のフィードバック

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    おっちゃん

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