楽器そのものに宿る力 [Monthly Report 2015-03]
残念ながら、私は生のピアノを所有してはいない。電子楽器の恩恵に授かっている。
主に使っているのはRoland RD-700NXだが、ライブの時にはこいつを運ぶのはちょっと骨が折れるという理由で(25kgもある)、たいていはKORGの電子ピアノSP-170S(これでも結構大きくて重いのだが)と音源にLogicに付属しているサンプラーEXS24のピアノ音を使っている。
RD−700NXの音は、私が惚れ込んだ音。数年前、電子ピアノを探して楽器屋を巡っていた。そこで出会ったのがRolandの電子ピアノ。それはまさしく「電子ピアノ」だった。当時私はしばらく音楽の世界から離れていたこともあり、最新楽器のことはよく知らなかった。「この音源と鍵盤は上位のRDという楽器からのものなんです」と、立ち寄った楽器店で店員さんが教えてくれた。
そこで、私は制作者としての楽器選びということも考えて、(電子ピアノではなく)このRD-700NXを手に入れた。ライブを前提としていないので、重さなど考慮しなかった。それに、コストの問題もある。もっと高額な電子ピアノやステージピアノを弾いたこともあるが、やはりそれにはかなわない。でも、完全なる私の主観での「表現力とコストの見合うバランス」がとれていたのがこのRD-700NXで、当時私が触れた電子(ピアノ)楽器の中では最高のものだと感じた。
2年ほど前、ライブに持ち運ぶことを前提に購入したのがKORGの電子ピアノ。これの音はさすがに褒められたものではない。ただ、どうしてもピアノタッチの鍵盤が必要だったから手に入れた。だから前述のとおり、これを単なる鍵盤として使い、音はLogic付属(MainStage)の音源を利用している。サポートで年数回参加しているバンドのライブ程度ならこれで十分。むしろ、そんなに音質的に良い必要はないことも多い。
だが…。
つい先日も、楽器の差を感じずにはいられない体験をした。
ピアノの音質とタッチの差というのは、明らかに表現力や腕前、そして上達に大きく影響する。自分で言うのはなかなか怖いものがあるが、私の演奏力など酷いもので、はっきり言ってお世辞にも上手いとは言えない。にも関わらず、同じ曲を弾いたとしても、KORGの電子ピアノwith Logicの音源で弾いた場合と、RD-700NXで弾いた場合とでは、明確に表現の違いが出てくる。それは音質という問題ではない。リズムだったり強弱のダイナミクスだったり、それはつまり「曲を表現する感情の出方」が違うといっていいと思う。この文章で伝わるとも思えないのだが、あきらかに違うのだ。
たとえば、ストラディバリウス。みなさんご存知、ウン億円もするというバイオリンの銘器。音がいいとか何とかの前に、演奏家があれを手にした時に、「表現力を引き出す魔力」を楽器そのものが持っているのではないかとさえ思う。
楽器が、人間の表現力を引き出す。これは何度も経験してきた。多くのミュージシャンたちも、おそらく感じているだろうと思う。もしかしたら単なるプラシーボ効果のような精神的な影響かもしれない。根拠なんてないのかもしれない。それでもいい。私は楽器そのものの持つ力を信じている。
20年以上前に、その究極の体験をしてしまったからかもしれない。それは…
~翌月へ続く
後記
春になった。今年の冬は以前と比べるとかなり過ごしやすかった。雪も少なく(といっても、最終的にはそこそこ降り積もるのだけれど)、零下25℃を下回るのも1週間程度で終わったと思う。
その間、私はパン屋さんの準備と、単独ライブの準備も曲作りもしていた(もっとも、またもやライブはボツってしまったが…)。冬の終わりには井戸のポンプも壊れて、大変な目にもあった。まだ完全復旧には至っていないが。その他にも次から次へと、災難が降りかかる。どこまでも続く、「忙しいけれど何も成就しない」時間。こうして人は死んでいくのだろうと思うことも多々ある。
「それでいいのだ。これでいいのだ。」
今、目の前にある戦場で、私は戦うしかないのだ。戦えるだけ、まだ私はマシなのだ。死ぬまで戦ってやる。他人とではない。私と、私の人生とだ。